オタクってなんだろう。

生きててくれてありがとうブログ

ジャニーズを学びに放つ新世代。

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事務所様が作り上げた華麗なキャッチコピーを丸々文字ってそれっぽい記事に見せてしまい申し訳ありません。出オチ感エグい。

 

わたしが学生の間に、この時代が来てくれて本当に良かったと、2020の終わりに呟きたくて。

 

 

わたしは勉強が嫌いでした。自分の中に蔓延る「やらされてる感」を拭えなかったから。拭わなかったから。

社会に出るためについて回るものなら、そして大人の気を害さないようにするためなら、やらなければならないことは黙ってやっとくか。くらいのもの。

 

昔、何かの折で壇上で誓いの言葉、のようなものをやったことがあって、原稿で『勉強』というワードを使ったら、「『勉強』は強制的なものっていうイメージがあるから、『学業』とか『勉学』がいいよ」と姉に言われた思い出があります。なんだ、結局やらされてるものだっていうのは共通認識じゃん、と眉を顰めたことを記憶しています。捻くれてますね〜。

 

そしておよそ10年間、三度の飯より推しが好きでした。もちろん勉強よりも。推しは勉強からの逃避の一環でした。ゲームか、漫画か、テレビで推しを見るか。

 

 

そんな推しから、2020年、学びのパワーをいただくとは思わまあがでした。松倉さんもびっくり。

 

初めてクイズ番組で見たジャニーズの方は川島如恵留さんでした。トラジャを知って少し経った頃かなあ。

すごく楽しそうに出演されていたのが印象的でした。爪痕を残そうとか、自分やグループを知ってほしいとか、そういう気持ちは常に彼の中にあるものだとは思いますが、それ以上に楽しそうだった。

好きでやってるんだな、というのがひしひしと伝わってきました。

 

その次に拝見したのは阿部亮平さんでした。トラジャ沼に落ちて半月という驚異のスピードで、幼馴染の手によってスノも叩き込まれ、その中で特にわたしに刺さった阿部さんを追いかけつつ視聴しました。(この頃からジャニヲタの友達に「頭いい人好きなの?」と言われ始める。好きだよ!!!!!

阿部さんはとにかく知識量の鬼、という感じがしました。この世にあるもの、起こる事象、全て頭の中に入れんとするような気概。そして何より衝撃を受けた「ストレス解消法が勉強」というワード。言ってみて〜!!!!!!休みの日にカフェでオリンピックについて勉強していることをラジオで公言するジャニーズというなんとも言えないっょさ。言語化しろわたし。

好きでやっていることも勿論なのだろうけど、日々の生活の中に「学ぶ」という行為が既に組み込まれているのかな、と感じました。

 

そして自粛期間中に見た「ジャニーズクイズ部」の島動画。そこで出会った本髙克樹さん那須雄登ささん浮所飛貴さん福本大晴さん

若ぇ!!!!!!!!デビュー組、しかも中堅〜ベテランを追いかけ続けていたわたしにとっては眩しい若さでした。学生が言うのもなんですが。

たいちぇさんの「きょーはのえるくんたおすぞー」であっ、この子かわいい(確信)となりました。ぽんちゃんもなかなかに愛嬌溢れるキャラクターをお持ち。うきなすの沼は外野から見ても深そうなので足突っ込まないように警戒してます。誰か落としてくれ。

 

6人を認識し、何度も何度も島動画を見て、自粛が明けたらそれぞれの活躍も楽しみだなあ、なんて思っていた時。「「「アレ」」」の放送が決まったのです。

「ジャニーズクイズ部」という看板を背負って、6人で初めて出演したQさま‼︎」。あのお知らせが出たとき、この瞬間に立ち会えて幸せだと思いました。出産かな?

放送までの間、沢山の誌面でその「新たな道」をフィーチャーされた6人。

そこに並ぶ名だたる大学名よりも、みんなでクイズの勉強をしたとか、誰それの得意分野はここだから頼りにするとか、一人一人が楽しんでいる雰囲気と、等身大の努力する姿勢が、わたしを刺激しました。

当日も、リアルタイムで視聴しながら、仲間と共に点数を積み上げ、土壇場で逆転勝利を成し遂げたクイズ部の皆さんに感銘を受けました。

 

学ぶことを楽しんでいる人って、こんなに輝いているんだ。

これほどまで学ぶ機会に恵まれていながら、今まで学ぶことを楽しまずに、ただ「やらされている」意識だけを持っていたわたしは、どんなに寂しいのだろうか。

机に向かうことだけが学びじゃない。もし「勉強」に強制力が内包されていると考えられるなら、「勉強」は「学び」のほんの一部です。

 

外界にあるものから何かを得る行為は全て「学び」であると、この時初めて腑に落ちました。

だからわたしは学びたいと思いました。わたしが「勉強」だと思って嫌悪していたものも、わたしの意識次第でコロっと「学び」になりました。学ぶことを楽しめなかったのではなく、楽しまなかっただけだと気付きました。

そんな風に考えを変えることができたのは、ジャニーズクイズ部の皆さんの学歴がすごいからでも、皆さんがクイズ番組に出ているからでもない。

 

どんな場所であれ、学んでいる姿が楽しそうだったからです。

 

学ぶことを楽しむ人になりたい。素直に学べる人になりたい。

そう思えた瞬間から、わたしは「素直に学べる人」になれたと思います。

 

 

 

私見ですが、学ぶことはどんなものよりもその人の努力が分かるものだと思っています。わたしが好きなとある漫画に、「知識と知性は違うのよ」という台詞(文脈は皮肉ですが)があります。ずっと心に留めている大好きな言葉です。

「頭がいい人」=「知識人」ではない。逆に博識な方でも、「勉強」が出来るとは限らない。というか、クイズ番組に出られている方々が自己紹介に冠するような大学に入るために、雑学的知識を吸収することは求められない。(なので個人的には、クイズ番組での紹介テロップに大学名を入れることは果たして本当に必要なのだろうか?とも思いますが、タレントも制作側も「掴み」は必要だと考えると必須なのかな)

 

きっと沢山の方から感心されるような学歴をお持ちで、それでもなお、学ぶ姿勢、知識を取り込む姿勢を怠らない。日々の生活が全て「学び」なのだという確信を、我々に届けてくれている。

 

のえパラのおかげで自分の価値観に名前がついた話。 - オタクってなんだろう。

以前、こちらのブログでも書きました。

如恵留さんは、身の回りのことを理解していて、ご自身の考えを持っていらっしゃるから、自らの演出に繋げられた。それは現在多くの人がそうであるように、ただ毎日を生きているだけでは正しい知識を得るのが難しいフィールドです。

知らない世界があると知ること。学ぶことに対する自分の中のハードルを下げること。新たに学んだことを素直に受け入れること。そしてなにより、これらの学ぶ過程を楽しむこと。一つ一つを丁寧に積み重ねていった結果が、如恵留さんのあのステージだし、クイズ部の皆さん、そして学ぶことを怠らない全ての人々に実るものに繋がるのだと思います。

 

学歴も、資格も、メディアを通して残し続ける記録と記憶も、全部みなさんが努力した結果で、武器で、ステータスです。

しかし、こうしてテレビの向こうでボタンを押さんとする皆さんをわたしたちが何度も見れるのは、みなさんが今この瞬間も学ぶことを不断に続けているからなのだと思うのです。

 

クイズ部の皆さんはそれぞれ、「ジャニーズ」というイメージ、敢えて言い方を変えれば、人によっては掛けているかもしれない、集団に対する色眼鏡を、プラスに変えうるステータスをお持ちです。だけど、それそのものならジャニーズの先輩方でお持ちの方は沢山いらっしゃる。

そこで終わらせない努力を、彼らはした。「へぇ、学歴すごいね」で終わらせない努力。良くも悪くも字面だけで評価しがちなわたしたち視聴者に訴えかける「中身」を、たゆまず積み重ねた。だから「学び」というジャンルにジャニーズの風を吹き込んだ張本人であるのではないでしょうか。

 

 

0を1にした人は、その1を大きなものにしていく役割を担う後の世代に、深く刻み込まれるでしょう。これまで、ジャニーズタレントとしての新境地を開拓してきた数多くの先輩方のように。

今後、もし6人と同じように、クイズや学びというジャンルで活躍したいと思う後輩たちが現れたら。「ジャニーズクイズ部」に入部したいと志す人が増えていったら。

ジャニーズに所属するタレントさんが発信する学びの輪は必ず広がるでしょう。でも、その輪の中心となった阿部さんをはじめ「ジャニーズクイズ部1期生」の6人の存在が、その輪において忘れ去られることは決してないと信じています。

 

わたしの学びへの気持ちを大きく変えてくれた人。はじめの一歩を踏み出した人。心から尊敬しています。皆さんのさらなる飛躍をお祈りしております。

 

 

最後になりますが、この記事において、敢えて「学歴」という言葉を多用させていただきました。「学力」や「頭がいい」などとしても良かったのですが(ほぼ確実にそうだと思うので)、彼らの活躍する場面だけでそれを視聴者側からは測りかねること、そして学力というものの流動性、言葉の定義を考えて、揺るがない事実として、「学歴」というものを強調させていただきました。前述では否定的な意見も示しましたが、やはり掴みはそこにあると思いますし、なにより彼らの努力の結晶であることに違いはないので。

ここにお断りさせていただき、当記事の締めとさせていただきます。

 

 

最後までご覧くださりありがとうございました!

 

 

 

 

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のえパラのおかげで自分の価値観に名前がついた話。

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一時はご本人にファンレターでも書いて気持ちを伝えようかとすら悩んだほどでした。それほど私にとって「のえパラ」は転機でした。

が、上手くまとめられる自信もない上に、彼が作り出した世界、歩み続けるアイドル街道、その中のほんのひとつまみに感化された一ファンの興奮状態の話をどう消化していいものか分からず。

お忙しい彼の限られた時間を割いてもらう前に、自分の中でも一度「のえパラ」後の話を整理しようと、こうしてブログ記事を書き出した次第です。

 

 

過去の記事でもお伝えしておりますが、実在する人物について記事を書いております。ご本人含め関係者の目に触れることも留意した上で、誤解を与えない、不愉快な感情になる方が出来るだけ少ない、そんな文章を書くよう心がけておりますが、万が一気になる点がございましたらご一報ください。

また、今回の記事に関しては、ジェンダーに関する私見を記述した部分がございます。あくまで私個人の意見、考えですので、他者を攻撃する意図は一切ないことを先にお伝えします。

しかし、私とは違った考えを持つ方が大勢いらっしゃることは理解しておりますし、匿名性の高いSNS媒体においては率直な意見交換が交わされることも存じています。とりわけジェンダー論はその多様性から、全ての方に平等に配慮した記事にすることは難しいと考えています。

今回は筆者の体験を通して感じたことを綴る記事となっておりますので、お読みいただいている方との価値観の違いは寛大に扱っていただければ幸いです。

 

この記事は私自身の話が多くなると思われます。Travis Japan 川島如恵留さんについての記事だと思ってこのブログを開いてくださった方は下記のブログをご参照ください。

のえさんをヨシヨシナデナデラブラブしたい - オタクってなんだろう。

 

 

 

 

私はこれまでの人生で、私自身を、こころもからだも女性であり、恋愛感情や性的嗜好は異性(自分自身が主に女性という認識なので、以後男性と書かせていただきます)に対して持つ、というように捉えていました。

一方で、「同性愛」と呼ばれる類のものが、自分と全く縁がないとは思っていませんでした。

男性と交際している自分と同じくらい、女性と交際している自分も当たり前に想像の中にいました。

「彼氏がほしい」と口では言っていても、はっきりと男性のパートナーを思い描いているわけではなくて。あくまで想像の私のそばにいるのは「恋人」であって、男性、女性は気にしていなかった。

 

それを、私はずっと誰もが持ち得る「普通」だと思っていました。みんな言わないだけで、きっと同じような感覚なのだろうと。

 

 

自分の中で周りとの違いを感じ始めたのは、とある映画がきっかけでした。

好きな俳優さんが、男性同士の恋を描いた映画に出演されるという情報を得て、予告動画を観にリンクを踏みました。その動画のコメント欄に、

「BL好きなので楽しみです」「〇〇さんとBLとか好きすぎる」

というような書き込みがありました。

 

否定はしません。「BL」というジャンルが人々の趣味嗜好として確立されたものであることは確かです。ただ、その呼び方や捉え方に疑問を感じたのです。

その予告動画の中で、「BL」という単語は一度も使われていませんでした。出演者の皆様も、「恋のお話です」とだけ仰っていました。

それを、同性の恋愛を自分の外部のことだと考えている人が「BL」という括りに入れている。

今、世界中で尊重の動きが加速している「性的マイノリティ」と呼ばれる方の恋愛は、現実の世界で実際にある話で。

その人たちは、「マジョリティ」だと思っている人々に「マイノリティ」という色をつけて見られていることに、マイナスなものを何も感じていないと言えるのだろうか。

 

性別、あるいは恋愛や性的嗜好という観点における社会への違和感は、この映画を知る前から、ずっと思っていたことでした。

例えば、雑誌で芸能人への恋愛にまつわるインタビューがあるときに、男性に対しては「彼女」、女性に対しては「彼氏」というワードが使われることがほとんどです。

何も芸能人一人一人の価値観や感覚を全て反映させた記事にしてほしいなどというつもりはありません。ただ、このような言葉の選び方に全く疑問を持たずに享受している現実はそのままでいいのだろうか。文字起こしではないから、実際にインタビュアと芸能人がお話しされたこととは違う部分も少なくないだろうけれど、この人が思う恋愛対象は必ずしも異性であるとは限らないし、受け手が考えるものも同じく。

「ほとんどみんなが異性に恋をし、異性に対して性的嗜好を持つ」という社会からの刷り込みによって、そういった価値観が当たり前だと思われるようになっていくし、そのことによって余計に「性的マイノリティ」と呼ばれる人々は少数派だと思われるようになる。

 

その疑問や違和感は、「当事者」として私の中に生まれました。

クエスチョンマークが浮かぶ時、私は性的マイノリティの一員として自分を認識しているように思えました。

 

この映画についての話が自分の目に飛び込んでくる度に、「この違和感は私以外に誰も感じていないのだろうか?」と思うようになりました。

私の周りに、同じような思いを抱える人は誰もいないのだろうか。これは私に特異な考え方なのだろうか。私は「人と違う」のだろうか。マイノリティなのだろうか。

 

 

 

そして、今年の8月1日。

Travis Japan 川島如恵留さんのソロコンサート。

 

「誰も取り残さないアイドル」を常に掲げ、1時間半の大スペクタクルを見せてくれた如恵留さんは、わたしのモヤモヤした思いをも拾い上げてくれました。

 

その中で披露された、Sexy Zoneさんの名脇役という曲。幾度となくご本人以外のジャニーズの方にカバーされている、名曲です。私も、のえパラの前から大好きな曲でした。

 

その曲そのものの歌詞を否定はしていませんが、複数のファンの方が既に言及されているように、如恵留さんが1番だけを披露したこと、そしてJr.の男の子を曲の表現としてダンサーに充てたことは如恵留さんなりに意味があると思っています。

訳あってブログは見れない環境にある(辛うじて毎日更新していることと定期更新回が長いことは知ってる)ので、細かいところまで如恵留さんの考えに触れることはできないのですが。

 

「誰も取り残さない」という如恵留さんの言葉に、性別、年齢、障碍などのハンデ、それら全てに関わらず、人というものを皆同じように愛していきたいのだと、そういう気概を勝手に感じている今日この頃。

この言葉を聞くたびに、私は共鳴する、というより、それが私の価値観と合致している、と思うのです。

 

彼の本当の思いは分かりません。ファンの思いを汲んで、長いブログを書いてくれる彼でも、彼自身の思いを全て文字にして伝えることは不可能でしょう。

それでも、のえパラを見て、如恵留さんがいてくれるなら、私はこの価値観でいていいのかもしれないと思いました。たとえ周りにこの感覚を共有できる人がいなくても、如恵留さんが温かい思いで活動をしてくれていて、ファンを愛してくれて、その一部に私も入っていていいのなら、私はこのままでいたい。

 

如恵留さんがそうしているように、たくさんの知識をインテイクし、自分なりに並べて、理解して、その上で世界を愛したい。知らないことを知らないままにしないで、能動的に情報を取り入れ、自分のことも、周りのことも、ちゃんと理解したい。

そんな思いを、のえパラを見て抱きました。

 

サマパラ2020の全日程が終了した頃、きちんと性的マイノリティについて調べ始めました。本を読んで、ネットで調べて。前述のような思いを抱えていても、自分の認識は甘すぎたのだと分かりました。

その上で、私は全性愛者(オムニセクシャル)であると自分を認識するようになりました。*1

人のジェンダーを認識した上で、恋愛対象や性的対象においてはそれを区別しない。男性、女性、Xジェンダー、そのほか沢山の性があることを認識はするけれど、私が人を好きになるとき、その人のジェンダーははっきり言ってどうでもいい。

例えば、雑誌で芸能人への恋愛にまつわるインタビューがあるときに、男性に対しては「彼女」、女性に対しては「彼氏」というワードが使われることがほとんどです。

こういった話に違和感を覚えていたのも、私自身が「彼氏」「彼女」といった括りを気にせず、「恋人」を想像しているからだった。

前述したBLのお話も、私が首を捻るのは、「『男性』というジェンダー同士の恋愛も、どんなジェンダーの方同士の恋愛でも、等しく『恋愛』でしょう?」と思っているから、特別に名前が付くことに違和感があっただけ。

結局は価値観、考え方の問題であって、周りの人も私も、誰も間違ってないし、誰も悪くない。

 

そう思えてから、心が楽になりました。

のえパラのおかげで、私は自分の価値観に名前をつけることができた。

のえパラを見ていなかったら、如恵留さんに出会えていなかったら、ずっと名前のない、得体の知れない違和感と共に生きていたかも知れない。

正体の分からないものほど、人間が恐れるものはありません。だから私はずっと怖かった。周りと違うかもしれない、自分は変なのかもしれない。そう思っていました。でも、こうして自分で情報を得て、自分の気持ちに合う言葉が見つかったことで、安心したのです。

このプロセスを教えてくれたのは、いや、自分がそれを知っていたのは確かでしょうが、確実に実践する強みと、その後に得られる幸せを教えてくれたのは紛れもなく如恵留さんでした。

 

性的マイノリティとカテゴライズされる人であると自分を認識したことで、怖さや不安もあります。

一方で、「違和感」が「価値観」になったことに、とてつもなく喜びを感じているのも事実です。これは私の考え方だ、人と違ってもいいんだと、胸を張れる理由ができたのです。

ジェンダーについての理解が深まっているとは到底言えないこの世の中では無理ですが、自分に与えてやることができたこの名前を誇らしく、嬉しく思っていると周りに伝えたくなるほどには喜びでいっぱいです。

 

さらに、こうして如恵留さんが作り出した舞台に触れ、そこに込められた想いを想像して、自分なりに咀嚼し、如恵留さんのように沢山のことを知ろうと私なりに努力して、改めて思ったことがあります。

マイノリティ、マジョリティなんてない。一人一人がそれぞれ個人であって、そこに共感や共鳴があったとしても、人の価値観が全て重なるなんてことはまずあり得ない。あり得ないからこそ、あり得ないことを念頭において、同じ部分も違う部分も、まとめて人を愛せる人になりたい。そう、私の気持ちを救ってくれた彼のように。

健やかでいてくれてありがとう、って、それが私の人生に関わってくれている全ての人に対する全ての想いだから。

 

 

如恵留さん自身の考えは分かりませんし、如恵留さんという1人の人間が自分で語ろうとする前に、こちら側が勝手に分かろうとしてはいけないものであることに間違いはありません。

それでも、ファンが勝手に期待することではないけれど、如恵留さんがこんな私にも、ほんの少しでいい、愛を注いでくれたら私は幸せです。

如恵留さんがいてくれたから、私は今こうして胸を張れています。如恵留さんは私の神様です。

 

 

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彼の名前を出した割には、ほとんどコンサート本編について触れることができずに終わってしまいました。すみません。

お名前を出すことで、こんな私事の記事がもしかしたら検索に引っかかってしまうかもしれないという考えもありましたが、あの公演でこんな思いを持ったファンがここにいるんだということを少しの間残しておきたいという、勝手なエゴをお許しください。

冒頭に載せたリンクでは狂おしいほどの愛をぶつけているので、気になった方はそちらもご覧いただけると嬉しいです。

 

 

あなたが今この瞬間、あなたの人生で幸せをもらっている私のように、幸せでありますように。笑顔でありますように。

如恵留さんのおかげで世界が変わった1人のファンからの願いを添えて締めたいと思います。

 

 

 

 

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*1:日本語で「全性愛」と訳されるセクシャリティは他にもいくつかあります。同じ「全性愛」でもそれぞれニュアンスが違うので、気になる方は調べていただけると幸いです。

井ノ原さんって、V6って、最高だ。

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嬉しすぎて、残したいと思ったので取り急ぎのポスト。

 

8/23「24時間テレビ43 愛は地球を救う」内で放送された「笑点」。パーソナリティと笑点メンバーが対抗で行う大喜利のコーナー。

「〇〇ジョウ」の「〇〇」に言葉を入れる、というお題でした。

 

 

井ノ原さん「結成25周年ですけど、まだまだこれからです」

昇太さん「なんですか?」

 

井ノ原さん「V6、発展途上!」

 

 

涙が出そうになりました。

 

 

V6の25周年は、きっとこんなはずじゃなかった。

誰1人欠けず四半世紀を駆け抜けた6人と、ファンとが一体になって、お祝いできるはずだった。

これからもよろしくねって、言い合えるはずだった。

少し前のシングルから張られ続けている伏線も、ワクワクして回収の時を待てるはずだった。

 

それが、たったの数週間で先が見えなくなって。

きっと6人は、もうほとんど日程もセットリストも決まっていたであろう25周年のライブツアーを、春の終わり頃には発表するつもりだったでしょう。

2019年半ば、今年のコンサートがあるかどうか微妙な時期に、「期待させちゃうのは申し訳ないから言わせてもらうと、今年のツアーはない。でも、来年(2020年)はやらないという選択肢はないと僕は思ってるので。」とラジオではっきり明言してくださった三宅さん。

3年越しのコンサートですから、ファンを楽しませるために、沢山の準備を重ねてくれていただろうし、ファンはそれを楽しみにしていた。

 

それが、あっという間に白紙になった。

 

それだけじゃない。

それぞれの個人の舞台なども中止になってしまって、喪失感はこちらが想像してもし尽くせない。

 

ファンの何倍も、ご本人が辛い。

そんな中、様々な媒体でファンをはじめ沢山の方のことを気にかけてくださった6人。

「動く」というテーマの下、24時間テレビのメインパーソナリティ、最年長として朗らかな笑顔を届けてくださった井ノ原さん。

 

それだけでも感謝の雨が降って止むことはありません。

 

グループとしてここまで安定して25年の月日を積み重ね、私たちが笑顔になれたのは、6人全員のおかげ。

それなのに、V6の謙虚な発言は年を追うごとに増えていきます。

 

「応援してくれる人がいる限りは続けていきたい」

「健康でいてくれればグループは続く」

「みんなに幸せでいてほしいんだよね」

 

「V6、発展途上です。」

 

25年を走り抜いた上でのこの言葉に、私たちはどれほどの勇気と希望をもらえたことか。

謙虚、かつ向上心の絶えないV6は、私が何より誇れる大好きな人です。

 

「20周年が奇跡なら、30周年はなんと呼べばいいでしょうか?40周年はなんと呼べばいいでしょうか?」

 

2015年11月1日、代々木第一体育館のステージでそう言い切ったリーダー坂本さんを思い出しました。

 

先が見えない今、「まだ走り続ける」と明言してくれる井ノ原さんを、V6を、好きで良かった。

 

 

 

もう一つ、嬉しかったことがあります。

 

「V6発展途上」というワードが、間もなくTwitterのトレンドを駆け上がりました。

そのトレンドを覗くと、画像も動画も、1枚たりとも見当たらなかったのです。

 

個人的に、著作権や肖像権はどの界隈においても今よりも考えなければならない問題だと感じていて。他のグループや界隈にも顔を出す私としては、そういった配慮の足りないSNS投稿を見かける度に、ヤキモキしているのが現状です。

 

「V6、発展途上!」なんて感動する場面ですから、きっとその喜びを分かち合おうとして動画を撮って載せたい人だっているはずです。

「私の推し、こんないいこと言ってるよ!」って、みんなに聞いてほしい気持ちがあるはずです。

 

それでも、そんな投稿は見当たらなかったのです。

皆さん、「V6発展途上」というトレンドワード画面をスクリーンショットして「嬉しい!」と載せていたり、あるいは放送から僅か数十分でイラストを描いて載せていたり。

 

「V6のファンはマナーがいい人が多い」というのを、V6のファンになってすぐの頃から沢山耳にしていて。自分たちでそういうことを言うって、どうなんだろうとも思った時期もあったんですけど。

それって、「トイレをいつも綺麗に使ってくださりありがとうございます」の張り紙と似たようなものだと思うんです。

一人一人が、「マナーがいいファン」という言葉に恥じないように行動した結果が、今回の素敵なトレンドの入り方なのだと思います。

 

 

改めて言わせてください。

 

井ノ原さんを好きで良かった。

V6を好きで良かった。

V6のファンの方々が暖かくて良かった。

 

井ノ原さんって、V6って、最高だ。

 

 

 

 

 

 

 

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のえさんをヨシヨシナデナデラブラブしたい

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今回は、川島如恵留さんにスポットを当ててブログを書きたいと思っています。

サマパラも絡めつつ書けたらいいなと。

以前のブログでも書いた通り、実在する人物について、ただの考えすぎオタクが勝手に考えて勝手に綴る文章です。

ご本人様や関係者の方々の目に触れる可能性も十分に考え、他人に不快な印象を与えないよう心がけてはおりますが、気になる表現がありましたら真摯に受け止めますのでお伝えください。

 

 

 

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わたしは今、のえちゃか担を名乗っている。*1

 

わたしは生い立ちも関係して、「何でもできる」人に対して異常にコンプレックスを抱く人間だ。

 

だからわたしはTravis Japanを知った時、如恵留さんが苦手だった。

如恵留さんがどうこうの問題じゃない。単純にわたしの受け取り方の話だ。

 

学があって、運動が出来て、歌も上手。独学で手話だって身に付ける。長い文章を組み立てることを苦と思わず、大勢の前での回しもお手の物、小説も音楽も作る。みんなのママ、園長などと呼ばれ、「しっかり者」の代名詞。

 

如恵留さんの出来ること、列挙してみると死角などない。資格だって持ってるし。(下手くそか)

食レポと無茶ぶりには弱い傾向があるが、前者はYouTubeをはじめメディア出演を通じて上達し、最近は伝わりやすい食レポをなさるし、後者だって伝説の「ん〜、自給自足」など、沢山爪痕を残されている。

 

勿論、今の如恵留さんは努力の塊で出来ていることは一ファンとして分かっている(つもりだ)し、前述したわたしの劣等感はそういった努力を避けて生き続けてきた故のものでもあることも自覚している。

だからこそ、「羨ましい」とでも言えばいいだろうか。

 

初めは苦手だった如恵留さんは、沢山の動画やエピソードを拝見していく中で、わたしの「推し」になった。

結果的に、現在のえちゃか担を名乗るところまで到達した。

 

かっこいいところも可愛いところも知った。

強いところも弱いところも知った。

全部、如恵留さんが飾らずに如恵留さんでいてくれるからだ。

 

 

 

敢えて極端な表現をすると、「何でもある程度こなせる人」は、「突出した何かを持っていない人」とほぼ同値だ。

「じゃあ得意なことは何?」と聞かれた時に、言葉に詰まってしまいがちだ。

 

「何でもできる」ことが悪い事だとは思っていない。マルチに活動できることは確実に強みだ。

だがしかし、人は一定数の「何でもできる」が集まると、「何でもできなきゃいけない」と考えてしまう。

 

例えば国数英の3教科でテストを受けるとしよう。

Aさんの結果が、国語が70点、数学と英語が50点だったとき、「Aさんは国語ができる」というイメージになる。

一方で、Bさんの結果が、国語と英語が70点、数学が50点だったら、「Bさんは数学ができない」と感じる人が多いだろう。

2人とも国語は70点、数学は50点で変わらないのに、英語の点数によって印象が変わる。

これは他者から見てもそうだろうし、自己を省みたときは余計にそう思う。

 

如恵留さんは確実にBさんタイプだろう。

世間一般の尺度で見た時に出来ることが多すぎて、出来ないことが目立って見えてしまう。

だから如恵留さんは努力を積んで沢山のことを「できる」に変え、n角形のグラフに凹みが出ない人になった。最早バランス良すぎて円になりそう。

 

如恵留さんが「ジャニーズクイズ部」で「Qさま‼︎」に出演したとき、Snow Man阿部亮平さんから「如恵留は知識に偏りがなく、マルチにこなせる人」だと言われ、この上なく可愛い照れ顔を見せていた。

もちろん憧れのお兄ちゃん的存在である阿部さんにそう言われて単純に喜んでいた部分もあるだろうが、頑張っているところを的確に褒められたことも嬉しかったのではなかろうか。

 

 

学があって、運動が出来て、歌も上手。独学で手話だって身に付ける。長い文章を組み立てることを苦と思わず、大勢の前での回しもお手の物、小説も音楽も作る。みんなのママ、園長などと呼ばれ、「しっかり者」の代名詞。

 

如恵留さんは好きなこと、憧れて始めたこと、出来ないことを出来ることに変えようと始めたこと、それら全てが集まって、上記のような「何でもできる」人になった。

いつだっただろうか、目標として「武器を増やしたい」と言っていた如恵留さん。

武器が増えれば、見える範囲も広がるだろう。ある意味でそれぞれ違った武器を持つ人が集まって「Travis Japan」として1つの作品を作る時、バランサーとして機能できると感じる。

 

仮にどこかに傾いた時、少数の側に目を向けて拾ってあげられる人。

誰も取り残さないように動ける人。

後述したいと考えているが、サマパラ2020でも「誰も取り残さないライブを」と発言しているように、如恵留さんの目指す場所はここなのだろう。

 

 

 

 

 

ここまで2000字だが、ここからが本題。マジか。

 

以前のブログでも書いたように、私は今年Travis Japanを好きになった。

そして、トラジャメンバー初、歴代のJr.としても初のソロコンを拝見する機会を、「Summer Paradise2020 俺担ヨシヨシ 自担推し推し 緊急特別魂」にて、配信ライブという形で偶然にもすぐに得ることができた。

8/1の如恵留さん、8/10の宮近さん、どちらも15時公演の1度だけだったが、参戦させていただいた。

 

トラジャのトップバッターであり、Jr.のコンサートとしてもトップバッター。

Travis Japanの1番手担当は如恵留だから」

というLeader Tigerのお言葉*2は記憶に新しいが、一体宮近さんはどこまで伏線を張るのがお上手なのだろうか、と心底思った。

 

何かを始めるには誰かが1番にならないといけないし、それが「信頼と実績の川島さん」になるのは頷ける話だ。

サマパラ開幕直前のYouTube動画*3で、如恵留さんは

「誰も取り残さないライブを」

「ジャニーズの王道のものとかをしっかり取り込んでやるつもり」

と仰っていた。

 

自分が主役のライブなのだから、自分のやりたいことを存分に取り入れても誰も文句を言わないのに、ここまで不変の博愛を貫き通す如恵留さん。

「これぞ川島如恵留」よりも、「これぞジャニーズ」を前面に見せる彼の愛の守備範囲には舌を巻く。

 

と、最初は思っていた。

違うのかもしれない、と思い始めた。

 

「これぞジャニーズ」が、「これぞ川島如恵留」なのだと。

如恵留さんが生まれるずっと前から脈々と受け継がれるジャニーズの精神。

 

ジャニーさんが愛したミュージカル。「アンダルシアに憧れて」に代表される色気あるしなやかな踊り。豪快なアクロバットをふんだんに取り入れた激しいダンス。楽器を使ったしっとりした演出。国民に知れ渡る名曲を1人で歌い切る歌唱力。そしてジャニーズのお家芸と言っても過言ではないトンチキソング(褒めてます)。

全方位に死角を残さず、エンターテインメントを届けるのが「これぞジャニーズ」だ。そしてこれら全てを偏りなくこなせるのは如恵留さんしかいないと敢えて断言させてもらう。だから「これぞ川島如恵留」でもあるのではないだろうかと。

 

事務所が、ジャニーさんが、先輩方が築き上げてきた「ジャニーズ」を、持ち前の博愛精神で網羅した如恵留さん。

 

そんな中で、如恵留さんは7人の中で1番多くTravis Japan名義の持ち曲を披露した。全員分の紹介ラップを1人で歌い切った*4人、初めて見た気がする。

自分が帰るホームはTravis Japanなのだと、その歌で伝えてくれた。

「ジャニーズ」であり、「Travis Japan」であり、「川島如恵留」である川島如恵留

その1つ1つに誇りを持って丁寧に掬い上げるライブは、如恵留さんだから出来たのだ。

 

 

そんな如恵留さんが、最後の挨拶でメンバーの中村海人さんに向けた言葉がとても印象深い。

…と言っても、蛇口涙腺との異名をも得た私はその少し前あたりからずっとボロボロ泣いていて、よく覚えていない。要旨は記憶にあるのだが、言い回しが曖昧なので、敢えてここでは文字に起こさないでおこうと思う。

ただ、6人それぞれへメッセージを送った中で、海人さんへの言葉を紡いでいる時の如恵留さんが1番感慨深そうな顔をしていた。気がする。

 

とある雑誌のインタビューでも、如恵留さんは

「できないことをキャラクターにできる海人はすごい」

と発言している。

 

海人さんは前述のテストの例におけるAさんタイプなのだろう。

自負できることがあれば、全部が全部「できる」にならなくてもいい。「できる」ことが多いのは素晴らしいけれど、「できない」ことは「できる」人に任せればいい。

 

そのバランスをうまく取れるのが海人さんで、少し不器用だったのが如恵留さんなのだと思う。

 

「何でもできる」のレッテルを貼られ、自分自身がそれを意識してしまうと、「できない」ことが怖くなる。如恵留さんは最後の挨拶で自分のことを「見栄を張ってしまう」と表現していた。それを変えてくれたのが海人さんだと。

「何でもできる」と言われ続け、そこに自分の道を見出してきた如恵留さんが、ずっと不器用で出来なかったことは、できないことを誰かに預けることなのではないか。

そして、預けられないことのもどかしさ、苦しさを分かるから、宮近さんに対して「リーダーとして色々背負いすぎ」だと言うし、持ち前の頭の回転の速さを駆使してグループ内での回し役を担う。宮近さんが気負わず楽しめるように。

逆に、そんな不器用な如恵留さんをメンバーは分かっているから、元太さんが「俺、(トークを)回せる自信あるよ」と言ったりする。本来はボケたがりでお茶目な如恵留さんが、担い手がリーダーに集中しがちな回しを敢えて取り持っていることを知っているから。

 

「昔は自己中心的だった」と語る如恵留さんは、周りに気づかされながら次第に視野を広げ、博愛の如恵留さんになった。取りこぼしがちな少数意見をも拾い上げることができるように沢山のことを身につけた。「みんなと幸せになる」アイドルを目指して。

その想いの集大成が「のえパラ」なのだろう。

 

7人のソロコンサートで、他の人が「自分のファンの人」への愛を「自分」を通じて届けていたのに対し、如恵留さんは「ジャニーズを、Travis Japan愛する人」への愛を「エンターテインメント」を通して表現していたように思えた。

それが如恵留さんのやりたいことだったのだろうから、わたしはあのステージに立っていた如恵留さんを思う存分推し推しさせて頂いたし、1時間半の大スペクタクルはまるでディズニーのショーを丸々1回分見たようだった。

一方で、それが寂しく感じたという意見も見かけた。その気持ちもよく分かる。

グループに所属するアイドルにとってソロコンサートとはグループとしての作品に固執しない、1人の表現者としての在り方を披露できる場だ。さらに言えば、グループでのライブに比べ、お客さんにおいて「自分のファン=俺担」の割合が高まるから、「俺担ヨシヨシ」に特化することがより容易な場所とも言える。

そんなソロコンで博愛を貫いた如恵留さんを尊敬し、さらに大好きになった人が殆どだろうけれど、その尊敬の念と同じくらい寂しさも生まれた人がいるのは理解できる。

 

そんな如恵留さんが、公式Instagramにアップされた写真につけたタグがこちら。

 

 

#のえ担ヨシヨシナデナデラブラブ

 

 

如恵留さんはちゃんとのえ担を愛してくれている。

博愛の一部としてではなく、「ヨシヨシ」に「ナデナデ」、さらには「ラブラブ」まで乗っかるほど溺愛してくれている。

 

博愛の輪の中心にある「川島如恵留」を愛する人への愛が、15文字で痛いほど伝わってきた。

ファンの不安を1つ残らず和らげてくれる川島如恵留さん。

 

ファンの声、世間の声を聞くことは、全てが嬉しいことで満ち溢れているわけじゃない。ましてや匿名が当たり前になってしまった世界の中だ。

時には心が痛くなるような厳しいことも書いてあるかもしれない。それを見ないでいること、見て見ぬふりすることだってできる。

それでも、1つ1つを見つめて、丁寧に抱きしめて返してくれる如恵留さんに、わたしは伝えきれないほどの感謝の念を抱いている。

 

如恵留さんを見ていると、「強いものは美しい」という言葉が浮かぶ。アイドルとして、1人の表現者として、前進を続けてきた如恵留さんの強さが如恵留さんを美しく魅せるし、その美しさがまた如恵留さんを強くさせるのだろう。

 

きっとサマパラのトップバッターで、計り知れない不安や緊張があったはず。

今までも、アイドルとして悩んで、苦しんできたはず。

2019年夏、堪えきれずステージの上で涙を流した後も、自分を沢山責めてしまったかもしれない。

きっとこれからも、如恵留さんが歩く道は決して舗装されてなどいないだろう。

 

それでも「アイドル」として不変の愛を平等に注いでくれる如恵留さんを、私はヨシヨシナデナデラブラブしたい。(ここに持ってきたかった)

 

不器用で、努力家で、礼儀正しくて、お茶目で、笑顔が可愛くて、実は甘えたがりで、愛が重くて、トラジャが大好きで、ジャニーズが大好きな如恵留さんのことが、私は大好きだ。

 

 

 

時には考えすぎなくらい、ファンのことを考えてくれる如恵留さん。

たまには自分のためだけに、自分の人生を使ってください。

私は、如恵留さんが1番幸せだと思える場所で笑ってくれていたら、それだけで幸せです。

あわよくば、その場所が6人の仲間に囲まれた「Travis Japan」という空間でありますように。

 

 

 

 

 

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*1:わたしの中で「(コンビ名)担」は、コンビそのものが好きというよりはお二方が好き、という意味で使っています。信頼関係が素敵なのえちゃかコンビも勿論好きですが、宮近さんと如恵留さん、それぞれが好きです。

*2:YouTube ジャニーズJr.チャンネル 2020/7/13公開「Travis Japan【キュンキュン唇注意】自撮りでセクシー動画対決」より

*3:YouTube ジャニーズJr.チャンネル 2020/7/30公開「Travis Japan【動画ネタ】これだけはやりたくない…」より

*4:如恵留さん紹介部分はバックについた少年忍者の皆さんが歌っていました

初めて「デタカ」を手にした話。

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「次会う時デタカ持ってくわ」

 

 

 

幼馴染からの唐突な宣言。

 

「デタカいる?」ではなく、「持ってくわ」という高らかな響きに、

 

「なんとしてでもこいつをJr.の沼に落としてやる」

 

という闘志を感じました。

 

 

ちなみに彼女、親はV6と嵐のファン、自身は現在嵐・Snow Man・Lil かんさいのファンで、学校から家までの道のりを推しの話をお互いに一方的に語って満足するという生活を共に送ってくれた人です。

幼稚園からの幼馴染なのですが、年長さんのクラスはまさかのゆり組。

江戸川のゆり組懐かしの味は子持ち昆布だったようですが、こちらのゆり組のソウルフードは間違いなくココア揚げパンでしょう。

 

 

話が脱線しました。(確信犯)

 

 

わたしが宮近さんに落ちそうだ、という瀕死のメッセージを送ったら即座に生き生きとした返事が返ってきたのですが、その最後にあったのが冒頭の一文。

「ちょっと前のだけど、ちゃかちゃんまだ手元に残ってるからあげる」と。

 

その時のわたし。

 

 

「デタカって何?」

 

 

40前後のイケヲジアイドルを5年間推し続けた故の無知、大変お恥ずかしい。

ちょうどその頃某アイドル誌にデタカが付いたようで、「デタカ交換」だの「デタカのビジュ」だのが続々トレンド入りしていたので、「デタカ」が推しの顔写真とプロフィールが書かれた小さなカードだということは把握しました。

(トレンドを覗いたら堂々と写真を載せている方がいてちょっとうーん…と思いました。著作権や肖像権のこと、考えたいですね)

 

思い返せばSixTONES推しの友達がデタカを持ち歩いていた気がする。学校でやる気が出ない時に見ているのだそう。

ブロマイドみたいな雰囲気だった(ブロマイドって死語ですか?)ので、Jr.は事務所からこんなものも出ているのか〜色々増えたんだな〜と勘違いしていたのですが、あれは雑誌だったのですね。

 

ジャニヲタをやらせていただいておいて何なのですが、個人的に(あくまで個人的に(個人的にですよ))人の顔ががっつりそのまま入っているグッズに手を出す勇気が出なくて。

思えばジャニヲタ歴もそこそこ長いのですが、ジャニショで売っているオフショも10枚ほどしか所持していません。

その友人に言わせれば「団扇とかペンラとかは使うもんじゃねぇ、推しに貢いでいるという実感が湧く自己満足の世界だ」とのことです。男前か。いや、オタク前?

 

 

さらに言うとわたしはオタクを始めた時から雑誌には手を出さないと決めていました。

際限が無くなるから、という理由ともう一つ、1冊ずつ切り取ったりして整理をしていく自信が無いから。

 

そんなわたしも今年、ついに我慢できずに三宅健さんが表紙を飾ったHanakoを購入したのでもう怖いものはないと確信していますが。

 

 

そんなこんなで、デタカという存在を知った上でも、そんなに執着心が湧くものではないな、とぼんやり考えていました。

 

そこから数ヶ月経ち、此間ようやく友人と会うことができました。

久々の再開を果たした彼女はなにやら手に袋を持っていました。

 

店に入って早々、「はいこれ」と渡されたその袋。

中を見るとパンパンに膨れたクリアファイルが。

 

なんと彼女、トラジャ全員分のデタカ・厚紙に加え、数年分のTV誌やアイドル誌に掲載されていたV6・関ジャニ∞Travis Japanの記事、さらに表紙や裏表紙、ポスター等までとにかくわたしの推しを詰め込んでくれました。

 

え?

 

 

神なの?

 

 

ドリンクバーとか取りに行く余裕もないまま、雄叫びを抑えつつとりあえずデタカと厚紙だけ確認させてもらうことに。

 

 

 

 

 

Travis 顔がいい Japan 。

 

 

 

 

友人曰く、デタカはたしか2019のサマパラ近辺(推しに夢中で話聞いてなかった)、厚紙(?)はメンバーそれぞれが色とりどりの制服を着ているもの、書架での七五三掛さんのショット、そして「虎者」のときのものの3回分でしょうか。

 

裏表でセットになっているようで、

 

 

「あああのえんちゅ尊い

「うんうん、そうだねぇ〜」

「ヒッしめしず…あっ顔がいい顔が」

「2人ともかっこいいよね〜」

「やっぱり松松かよ!あっ待って元太くんのドアップはダメだって」

「心臓に悪いよね〜」

 

 

なんかよく分からんけど友人が母親に見えてきた。

 

その時わたしはドアップ元太さんに夢中で見えていませんでした。

 

 

 

 

元太さんの後ろに控えた彼を。

 

 

 

 

同じような流れで松松(ドアップ元太さん)を1番後ろに回した瞬間、突如現れた彼を。

 

 

 

 

 

エッ……………

 

エッ……………

 

エッ……………

 

エッ……………

 

(この間コンマ3秒)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハァァァア待って!?」

 

「何!?なに!?」

 

 

ド田舎の某ファミレス、平日の昼下がりで良かった。

ほとんど人がいなかったお陰で、ミ○ノ風ドリアを運んでいた店員さんにチラリと見られただけの軽傷で済みました。

 

いきなりの叫びに焦りまくった友人はわたしの手元を覗き込んで呆れた顔。

 

 

 

そもそも、のえんちゅ、しめしずまで来た時点で、ちゃか松松が来る可能性の低さを考えておくべきだった。

彼らが考えたエモめの(トンチキな?)ストーリーが本誌にあることはチラリと覗いて知っていたので、2:2:3よりは2:2:2:1になる方が自然だろうと。

そして宮近さん、元太さん、松倉さんが残っているなら、1は宮近さんになるだろうと。

アイドル誌はファン心理を捉えるだろうと。

 

 

考えておくべきだった。

 

 

Travis 顔がいい Japanが悪い。(違う)

 

 

ミントグリーンのベストを着こなし、手すりに掴まって身を乗り出す爆イケDK風宮近くんは、なにやら外に向かって叫んでいるようで。

 

歯並びいいな………。(キモヲタ代表挨拶)

 

裏返すと、今度は完璧なアイドルスマイルで外を見やる彼。

 

そういえば私の学校にはいつ宮近くんが転校してくるんだろう…………。(キモヲタ乾杯の音頭)

 

YouTubeで「キメ顔が変顔」とご自身で仰っていましたが、いや、あの、ほんとにカッコいいです。

 

 

家に帰って本誌の方も拝見したら、顔面の強さとストーリーのトンチキさが比例していて笑いましたが。あと3時間で地球に隕石って何事。

でも宮近さんが「隕石が落ちる」と言うなら確実に隕石は落ちる世界になってるんで。(何を言いたいの?)

 

 

結局、5時間近く居座った(迷惑極まりない)ガラガラのファミレスで話し込む間、私はずっと隣に宮近さんを置いていました。

 

家に帰り、ラブレターを隠すように(もらったことないけど)引き出しの隙間にブツをねじ込みました。

何回も、何回も引き出しを開けてはもらったデタカと厚紙を一周眺め、最後にもう一度宮近さんの2枚を眺めて仕舞う毎日。

 

私は思いました。

 

 

 

 

財布に入れよう。

 

 

 

今、制服宮近さんは財布の中にいます。

デタカ宮近さんは引き出しに大切に保管してあります。

 

 

そんなこんなで、デタカという存在を知った上でも、そんなに執着心が湧くものではないな、とぼんやり考えていました。

 

 

 

過去の私に言わせてください。

 

 

 

どの口が。

 

 

 

 

以上!!!!!!!!

みんな〜〜〜〜!!!!オタクって素敵だよなぁ〜〜〜〜〜!!!!

 

 

 

 

 

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井ノ原さんと宮近さん。

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わたしが井ノ原快彦さんの所属するV6のファンになったのが2015年11月3日。

紆余曲折を経て、井ノ原さんを「担当」として応援し始めたのが2016年11月。

 

ジャニーズ事務所公式サイト「Johnny's net」にて、「特捜9 season3」のメッセージ動画で宮近海斗さんに出会ったのが2020年4月。

今シーズンのドラマが放送再開するのに合わせて動画を見返し、もう一度宮近さんを見て、宮近さんの所属するTravis Japanに出会ったのが2020年5月。

(ここで言い訳させていただきたいのは、春クールで毎シーズン続いていた9係及び特捜9を観ていなかったのは、忍耐強くないわたしがどんなドラマも途中で追いかけるのを諦めるからです。本当にごめんなさい。でも毎年ワクワクしています)

 

 

わたしがV6のファンになったとき、井ノ原さんは39歳、宮近さんは18歳。

(この時に宮近さんに出会っていたらもっと違う生活になっていたと思います。出会いたかったなあ。というような話をしてると終わらないのでまたいつか)

9係が特捜9に生まれ変わり、井ノ原さんが座長に、宮近さんが初出演を果たしたとき、井ノ原さんは42歳、宮近さんは20歳。

そして今、井ノ原さんは44歳、宮近さんはもうすぐ23歳。

 

年齢差21歳。

芸歴32年と芸歴10年。

勤続25年とデビュー前。

(avex公式さんの愛あるキャッチコピーをそのまま使わせていただきます)

 

普通だったら、というか、勿論宮近さんは最初はそうだったのだろうけれど、座長の大先輩の下でレギュラーメンバーとして連ドラに出演、なんて、ガチガチになるし緊張以外の何も湧かないはず。(さすがにそんなことないだろう)(宮近さん俳優のキャリアもすごいんだからサ)

 

 

 

徹子の部屋」に井ノ原さんが出演されたとき、宮近さんからのメッセージが読まれました。

 

「僕の中の理想の大人です」

 

その言葉とともに、ドラマ内の衣装を着た2人がそれぞれ全開の笑顔で寄り添っている写真が映りました。

画面左側にその写真、右側には「嬉しいですねぇ」といつもの笑顔を浮かべる井ノ原さん。

 

そんな2人について今日はオタクが語りたいと思います。

本当のことは分かりません。

勘繰りオタクだと自負しているので(なんせ推しの動きが活発になると解散まで考えるタイプ)(さすがに病気)、考えすぎオタクの考えすぎブログだと思っていただければ。

わたしが感じたことをつらつらと書きます。

実在する人物の、ほんの一部を見て書くので、不愉快な表現やご本人をはじめ他人を傷つける表現はしないよう注意を払っておりますが、気になる点がありましたら何なりと。

 

 

 

2020年の24時間TVメインパーソナリティとしての番宣活動でご覧いただいている方には分かると思いますが、井ノ原さんは先輩後輩のきっちりした、年功序列扱いをあまり好いていません(ようにテレビ越しでは見える)。

勿論年上相手に失礼なこと、とかそういう類のことはきちんとする方です。そのメリハリが好き。

 

 

(以下番組名は忘れました、申し訳ないです)

例えばメインパーソナリティの5人が会議室に集まった時、年下から順に入ってきて、最後になった井ノ原さんが足を踏み入れたとき、他の4人は立って井ノ原さんを待っていました。

「なんで立ってるの?」

「先輩が来るって分かっていたので…」

「怖い怖い怖い、そういうのやめようよ」

デビュー25年の大先輩が、後輩の気遣いに「怖い」の一言。

そして次々と公開された動画では、

「俺が一番年上で俺の言うことばっかりになっちゃうのも良くない」

「回しみたいなの、俺じゃなくて誰かやろうよ」

といった類の発言をしています。

その結果、グループメールで間違って送った自身の自撮り写真を、バラエティ番組にリークされるまで打ち解けた5人。

そしてその一連のイジリにとても楽しそうな笑顔を浮かべていた井ノ原さんが印象的でした。

 

これってなかなか難しい技だと思うんです。

どうしても年下、あるいは後輩というのは上の人にビクビクしてしまうもの。

それをあの短期間で距離を縮められるのは、井ノ原さんの思いやりや心遣いがこもった技なのだと思います。

 

 

話が自担のここが推せるぞ選手権になってしまいました。筋を戻します。

 

 

 

とにかく、3年目ということも関係しているのかもしれませんが、宮近さんがあんなにリラックスした笑い方をできる、20歳以上年上の先輩って井ノ原さんしかいないと思うんです。

というより、同じ会社で働く20代男性と40代男性の関係性と考えると、そんな人はお互いにいないのが一般的だと思うんです。

 

 

顎が外れそうなほど大きく口を開けて「アッアッアッアッ…」って笑う(※褒めてます)あの宮近さんの笑い方って、虎Tubeでもなかなか見ないんですよね。

(宮近さんの笑い声の擬声語って一般的な表記は定まっているものなのでしょうか?もしご存知の方がいらっしゃれば教えていただきたい。)

1本の動画で1回見られればいい方で、それが何回も見られたらよっぽど面白い収録だったんだろうなと感じるくらい。

(個人的には宮近さんと笑いのツボが似ているのか、宮近さんがあの笑い方を何度もしている回はわたしの中でもお気に入りの回です。)

 

宮近さんは何かの流れでボケをして、周りのみんなが笑うor誰かに突っ込まれるという一連の流れを楽しんでいる(上手くいったときの満足げな顔が愛おしくてたまらない)、もしくは他人のボケ(意図的かは置いておいて)に対して自身がツッコミをして周りが笑うまでをワンセットとするタイプだと思うので、どちらかというと笑わせる方に重きを置いている人物だと勝手に解釈していて。

さらにTravis 天然ボケ渋滞 Japanのリーダーである彼は周囲の小ボケ大ボケを察知する能力に長けており(というより宮近さんが確信犯でボケる前に他の人のボケを回収しないと収集がつかない場面が多い)、その場にいる人と上手く掛け合いながらも、どこか俯瞰で見ているようにわたしは感じます。

そういったことも相まってなのか、よく笑う割には宮近さんが外界の物事で「ツボにハマって」いる瞬間ってあまりない。

(勿論、虎Tubeでたくさん笑っててもカットされてる、ということもあると思います。そもそも宮近さんの笑い声は響く方ではないし、Travis 笑い方個性ありすぎ Japanの中だと埋もれてしまって聞こえないので、顔が映ってないと拾いづらいという面もあります。)

 

そんな宮近さんが、あの写真では静止画でも分かるくらい「アッアッアッアッ…」のときの表情(※褒めてます)をしている。

さらにわたしが宮近さんを知るきっかけになったドラマメッセージ動画でも、確認すると10回以上あの笑い方が確認されました。

 

よっぽどリラックスしてるんだろうなあ、そして単純に井ノ原さんとあんな風に話すのが楽しいんだろうなあ、と、もはや微笑ましい。

 

さらに、あの動画の中で井ノ原さんが宮近さんに対して、

「真面目そうに見えてほんとふざけてるんだよ」

「適当でしょ?それ」

などと言ったときの、宮近さんの全開の笑顔が個人的にすごく印象深いんです。

その後に宮近さんが笑顔で続けた言葉が、

「やっとふざけられる〜って思ってました」

とのこと。

 

井ノ原さんのファンを名乗らせていただいている身としては、井ノ原さんが言えることじゃないと声を大にして言いたいのですが、今回の論点はそこじゃなくて。

宮近さんにとって、自分が確信犯で突破したボケに「ふざけている」という評価を井ノ原さんからもらうことが嬉しいのだということ。

ボケ決まった〜!やった〜!みたいなあの最高の笑顔を、井ノ原さんが呆れ半分で笑っている真横で見せている。

 

宮近さんがボケをした時、仕事場でもプライベートでも心地よいテンポで拾ってくれるのが井ノ原さんなんだと思うんです。

井ノ原さんがそのボケに乗っかる時もあれば、さらに膨らませてあらぬ方向に行ってしまう時もある。鋭いツッコミが光ることもあるだろうし、呆れた笑顔を見せられることもある。

宮近さんが大切にしている(ようにこちらサイドが勝手に感じている)笑いのサイクルは、ワンパターンではつまらない。

 

例えば件の動画内で、突如井ノ原さんの好きなものを当てると言い出した宮近さん。

いくつか質問をし、出した答えは「サラダ」。

「当てちゃいました?」

なんて言いながら周りをキョロキョロする宮近さんに対し、井ノ原さんは

「…サラダって、ドレッシング次第じゃない?」

と切り返し、宮近さんは満足そうに例の笑顔を浮かべます。

 

この会話、一見ただのボケとツッコミなんでしょうけど、実は2人の笑いのセンスが詰まっていると感じていて。

宮近さんが最初からふざけて回答しようと思っていたのか、また井ノ原さんが「ちゃかはふざけてくる」と確信していたのか、そこまでは分からないのですが、例えば宮近さんがまともな回答(サラダがまともじゃないとは言ってなry)をして、いのはらさんも惜しい!とか残念!とかいった返しだったら、100%カット候補ですよね。いや別に面白くないとは言わないですけど、動画としては山にならない。

「サラダ」という絶妙に的外れなボケ。表情を見るに井ノ原さんは一つ目の質問あたりで既にボケ回答を予想していそうですが、それにしても「肉・魚介以外でいつでも食べられる」食べ物から「サラダ」に行き着くとは思ってなかったのでしょう、微妙に吹き出しました。

ここで宮近さんは1つ「ふざけてボケて、井ノ原さんを笑わせたい」という狙いを果たせたことになります。

そして「サラダ」を聞いた時、違ぇよ!と頭から否定するだけだったり、なんでサラダ?と鸚鵡返しだったり、そういったツッコミは面白くないし、宮近さんもまたそれは求めていないでしょう。なぜなら宮近さんのボケ回答に理由などないはずだからです。なんでサラダか、と聞かれたら答えるしかないし、でも笑いに繋げられる明瞭な答えを持っていないから結果としてつまらなくなってしまう。

(しかしながら、なんでサラダ?と聞かれても笑いに繋げられそうな気がする宮近さんの笑いのポテンシャルは恐ろしいと思います。)

何て返ってくるかな、そんな顔つきで井ノ原さんを見つめる宮近さん。

(個人的にこの2人の7センチ差に感謝したい。カミセンでは味わえない井ノ原さんの絶妙な見下ろし加減が。)

そして井ノ原さんの切り返しは前述の通り。

宮近さんがどんな返事を予想していたのかはさておき、考えていなかった角度からのツッコミだったのでしょう、腹の底から笑っています。

井ノ原さんは宮近さんのボケに乗ることも可能だっただろうに、敢えて冷静な返しを選んだことで、より宮近さんの素っ頓狂な答えが引き立つし、宮近さんが作った山をそのまま活かすことが出来た。

恐らく井ノ原さんは宮近さんのセンスを分かっている。そして宮近さんも井ノ原さんに対して、確実に拾って投げ返してくれると分かっている。

 

「次はどんな返しをしてくれるんだろう?」とワクワクしながら心置きなくボケをかます宮近さんと、そのエンターテインメントのキャッチボールができる井ノ原さんの、需要と供給の一致ではないかな、と。

 

 

これを井ノ原さん側から見てみたい。

彼は今の宮近さんくらいかそれより少し若い頃、突如集められたV6の中間管理職としてトニセンとカミセンの間を取り持っていました。

それが功を成したのか否か、現在でもV6のライブMCでは8割5分井ノ原さんが喋っています。あのこれ、本当に、盛ってないんです。

メンバーの三宅健さん曰く、

「誰かに任せて間ができるのが嫌なんだろうね」

「MC入る前に水飲んどきゃいいのにそれもしない。多分自分が飲んでる間に繋いでくれる人が誰もいないって思ってるんだと思う」(ニュアンス)

だそう。

井ノ原さんが話していないと場が止まる(と井ノ原さんは考えている)V6で、井ノ原さんはふざけ倒しボケ倒しを繰り返してきました。試行錯誤を重ねながら色んなものを削ぎ落とし、今のフラットな彼になってきたのでしょう。

2017年のコンサートドキュメントでは、

「子供たちや、これから目指す人たちが、あそこ本当に行きたいわ、って思うような立場でいなきゃいけないから、全てにおいて俺はハッピーでいなきゃいけない人だと思ってやっている」

と発言されています。

 

そんな井ノ原さんから見ると、恐らく「自然体で笑いを楽しむ」宮近さんは、正に今の井ノ原さんのスタンスに近いのだと思います。

 

井ノ原さんは自身のブログで、宮近さんの所属するTravis Japanのメンバー、吉澤閑也さんと自身の若い頃を重ねられていたようですが、井ノ原さんのガムシャラな時期が今の吉澤さんのようだと、今俯瞰で見て井ノ原さん自身が思うのでしょう。

グループにボケ要員(V6で言うと「前に出る人」)がいない、ということはすなわち笑いの卵が生まれにくいから、どうしようにも笑いの山の数を増やすのは難しくなる。

そんな中で率先して笑いを作りに行こうと奮闘する姿が、吉澤さんと、若かりし頃の井ノ原さんの重なる部分だと思います。

(余談ですが、ボケ担当がいないV6だからこそ「学校へ行こう!」のような番組は成り立ったのだと感じています。もしそのタイプの人間がいれば、キャラの濃い学生たちと個性が衝突してしまいますから。)

 

対して、そんなガムシャラな年月を越え、

「昔はMCで(三宅)健とかが自由すぎて、ちゃんと聞けよ!とかみんなに向かって喋れよ!とか思ってたけど、最近は心にも余裕ができて、そっち(自由な方向)に行くならそれでいいかって思えるようになってきたよね」(ニュアンス)

と、同じく2017年のコンサートの話題で、ラジオでこのような発言している井ノ原さん。

自分がこういう流れで話を持っていきたい、というビジョンを持ちつつも、目の前で起こったことに目敏く反応し、臨機応変に話を繋げていく。

たとえ天然ボケや自由なメンバーの話題転換が炸裂しても、「いや、今こっちの話してるから!」というツッコミも1つの笑いとして成立するし、その後で「じゃあとりあえずそっちの話する?」と拾えば、発言した相手も報われる。

 

これ、宮近さんのスタイルに似ていませんか?

昔の井ノ原さんが吉澤さんに近しいのだとしたら、今の井ノ原さんは宮近さんに近しい気がしてならないのです。

 

 

わたしは過去2作の特捜9に宮近さんが出演されていたことは勉強不足で存じ上げていなかったのですが、井ノ原さんはいつかのテレビ番組で(わたしの記憶では「ジャニーズカウントダウン」の事前番組だったはずですが出典曖昧すぎて申し訳ないです)、

「昔の俺らが今のJr.の中にいたらデビューなんて絶対無理だよ。それくらい今のJr.のレベルは高い」(ニュアンス)

というような旨のことを仰っていました。

V6が、というよりあの年代のジャニーズ年長組が、Jr.と絡むことはほとんどない。

後輩の活躍をチェックしていて、その上でこう話したという可能性も十分にありますが、井ノ原さんが思い浮かべた「レベルの高いJr.」に、宮近さんが1番手かそれに匹敵するくらいで入っていたとわたしは確信しています。

なんでも結びつけたがるオタクの典型で申し訳ないのですが、「20数年かけて今のスタイルにたどり着いた井ノ原さん」が、「22歳にして自然体の笑いを楽しむことを既に分かっている宮近さん」を「レベルが高い」と感じているのではないかなと。

話の流れはパフォーマンスについての話題だった記憶があるので、そこだけをフィーチャーするのは少々短絡的だとは分かっていますが、色んな意味がこもっていたのではないかな(そうだといいな)、と。

 

自身のスタイルが行き着く先であろう井ノ原さんを「理想の大人」だとする宮近さん。

自身のスタイルに近い感覚で仕事に臨む宮近さんを認め、公私共に親交を深める井ノ原さん。

 

心が温かくなりますよね。(オタク、6000字書いたところで語彙力の限界を感じ始める)

 

 

「9係」で井ノ原さんが渡瀬恒彦さんの下ドラマ撮影に臨んでいたとき、

「(渡瀬さんは)熱く語るのではなく、お仕事への姿勢を背中で語ってくださる方だった」

と井ノ原さんは話します。

だから今度は「特捜9」で自らが座長になったと同時に宮近さんがレギュラーメンバーとして入ったとき、

「人それぞれ個性があるから、(宮近さんに対して)ああした方がいい、こうした方がいいとは言っていないんですけど」

「その分僕も見られているんだな、という意識はしてやっています」

とのこと。

11年間追いかけ続けた背中の大きさを知った上で、自身もその「座長としてのあり方」を踏襲した井ノ原さん。

 

そんな彼の背中を見つめる宮近さんが綴った、井ノ原さんへの言葉。

 

「僕の中の理想の大人です」

 

 

エッッッッッモ。

(語彙力の欠如再び)

 

 

この言葉を聞いて、

「嬉しいですねぇ」

とはにかんだ井ノ原さんは、少し照れ臭そうでもあり、少し感慨深げでもありました。

 

渡瀬さんが亡くなり、正式に座長となって3年目。

きっと井ノ原さんは、長い芸能生活の中でフラットになったスタンスを貫きつつも、やはりどこかで、特捜班のメンバー、そして何より宮近さんに見せる自身の姿を、模索しながら歩んでいたのだと思います。

座長として、先輩として、宮近さんに見せていた姿勢は間違ってなかったのだと、井ノ原さんはあの一言で、少し安心したのではないでしょうか。

 

 

 

 

勝手に「いのちゃか」と呼ばせて頂いているほわほわコンビ、書き始めたら自担×自担なのでフリック入力をする手は止まることを知らず、今現在7000字の大台に乗ろうとしています。

 

オタクの結論行方不明ブログって怖い。

 

 

「お芝居だけでなくステージで共演したい」

「夢が叶ったら一緒に乾杯したい」

 

22歳にして、こちらが想像してもし尽くせないほど沢山の苦労を重ねてきた宮近さんが綴った2つの願い。

 

「それが教えていただいたことへの恩返しになったら」

「少しでも近づけるよう頑張ります」

 

真っ直ぐなその想いが、必ず報われると信じています。

 

 

宮近さんへ。

井ノ原さんの好きな食べ物は分かりましたか?

宮近さんがたらこスパゲッティを、井ノ原さんがナポリタンを対面で食べている図をいつか見てみたいです。

 

 

そう遠くない未来に、井ノ原さんと宮近さんが笑顔で乾杯する日が来ますように。

 

同じ空の下、2人の人生の一部から幸せを頂いているファンからの、ささやかな願いです。

 

 

 

 

 

 

 

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8月10日15時、白昼夢を見た

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他Gのことで書いていたブログが自分の中で義務になってしまい、辞めてから数年、ずっと避け続けていたブログ再開設。

サマパラのことの備忘録のような感覚で書きたいだけで、特にこの先書いていく予定もない。

 

ただ、怖かった。

 

宮近海斗」という人物が、言葉で言い表せないからとそっと心に仕舞っているうちに、わたしの「推し」ではなく「神」になるのが、怖かった。

だから書こうと思った。

 

 

 

宮近さんという存在を知って4ヶ月しか経っていない。

わたしが宮近さんの沼に足を踏み入れた経緯は長くなるのでここでは割愛するとしよう。

狂ったように宮近さんのことをありとあらゆる媒体で調べた。

色んなことを経験して、今こうしてTravis Japanで笑ってくれているのだ、ということは辛うじて繋がったくらいだ。

 

そんな時に突如降ってきた配信でのステージ。

見る気はなかった。

同じく、宮近さんのパフォーマンスを見るのが怖かったのだ。

 

のえパラ開幕の日。

報道陣に披露されたソロ曲の一覧を見て、震え上がった。

 

Masterpiece。

 

宮近さんが、確実に「この曲は踊る」と決めて選んだのだろうと、曲名を見た瞬間思った。

だって、あの関ジャニ∞が(失礼)悲鳴を上げながら振り入れをして、コンサートでバチバチに踊っていたのだから。

 

お金を出さないと駄目だと思った。

宮近さんの過去を何も知らないわたしが、今与えられた機会を手に取らずして、「推し」だの「自担」だの言う資格はないのだと。

 

気付いたら手元に(画面上に)チケットがあったし(如恵留さんのチケットも購入して拝見したので気が向いたら書こうと思う)、気づいたら8/10だった。

 

自分の感情も、楽しみなのか、怖いのか、いまいち分からないまま15時公演まで過ごした。

 

 

 

 

 

 

一曲目、酔いそうなほどぐわんぐわんに動かされたカメラの、カメラマン側から突如現れた宮近さんの表情を見て、こう思った。

 

 

 

ああ、この人は今日から私の神になるんだ。

 

 

 

痛々しいヲタクをやるつもりはない。

本気愛とか、同担他担拒否とか、そういう言葉は否定はしないし一つの応援の方法だと考えているけれど、自分には縁のない言葉だった。

今もそういう系統の推し方をするつもりはない。

 

 

でもあの時、カメラを覗き込んだ宮近さんは間違いなく「神」に見えた。

でも「神様」じゃなかった。

 

救いの手を差し伸べてくれる存在ではない。

信仰すればご利益がある存在でもない。

 

崇拝対象や宗教に関わる概念など適用しない、受け取る側の自己満足の世界で。

 

 

わたし自身が彼に縋らないと勝手に苦しくなる存在。

たとえその先が幸でも不幸でも別に良くて、ただただ彼のいる世界へと、糸を伝って必死に追いかけてしまうような存在。

彼がいるならそれでいいと思ってしまう存在。

 

 

 

 

最初の数曲、ギラギラした「男、宮近海斗」なステージが終わり、失恋ソング(と一括りにしていいのかは分からないが)の消え入りそうなパフォーマンスが終わり、その時点でわたしのメンタルは既にボロボロだった。

 

宮近さんのセットリストがどうこうの問題ではない。

ただ単にわたしの心がおかしくなった。

 

 

宮近さんが消えてしまう。

 

 

何故か、そう強く感じたのだ。

 

バックの方がバチバチに踊る中でただ1人、センターで動かず立っている彼も、満を持して激しく踊る彼も、2つ目の衣装で出てきた時の彼も、円形ステージでしなやかに踊る彼も。

 

消えてしまう。

わたしの知らないところで色んな経験をして沢山苦しんだであろう彼が、思い出をなぞりながら、最後にはそっと微笑んで消えてしまう気がした。

 

カメラの前で微笑んで、手を振って、拳を出して、ピースをして、モノマネして、決めポーズしてくれる宮近さんが、突然カメラの向こう側に消えて、戻ってこないまま公演が突然終わってしまったらどうしよう。

 

だから縋りたかった。

苦しくなるほど泣いた。なんで泣いてるのか分からないけど、宮近さんが動くたび、止まるたび、これがわたしが見る「宮近海斗」の最後なのではと思ってしまった。

 

 

 

沢山の思い出が詰まったメドレーが終わり、何があったのだと聞きたくなるほどトンチキなコントコーナーが終わり、沢山のジャンルを取り入れたいろんな色の「宮近海斗」を見させていただいた。

 

わたしが自分の気持ちに追いつかない間に、宮近さんはもうTogether Nowを歌っていたし、手書きのメッセージが画面いっぱいに表示されて、わたしの夏は幕を閉じた。

 

 

怖い。

 

怖かった。

 

宮近海斗」に「宮近海斗」が憑依しているようだった。

どういうことだと言われてもわたしもよく分からない。

でもあの時間、わたしが見た「宮近海斗」は「宮近海斗」じゃなくて、「宮近海斗」だった。

 

あの日、朝家で目を覚ました「宮近海斗」が、バックヤードで最終確認をして、そのまま裏を通ってステージ上のカメラを操作してました、と言われても、わたしは信じられなかった。

宮近海斗」を纏ってあの場所にいたんだよ、実は「宮近海斗」じゃないんだよ、と誰かに言ってほしかった。

 

端的に言えば、わたしが見ていた「宮近海斗」は本当に一部だったのだろう、と。

更に言うなら、わたしは「宮近海斗」のそういった部分に敢えて目を向けてなかったのかもしれない。

 

あのあと彼はどうなるんだろう。

またいつものようにふにゃっとした笑顔で日々を過ごすのだろうか。

メンバーや周りの方から愛され、時に悩みながら、Travis Japanで居続けてくれる?

「アイドル 宮近海斗」で居続けてくれる?

 

どこかに行ったりしない?

 

 

それがわたしの心の中の全てだった。

こんなに人を惹きつけ、愛し愛されてきた彼が、このままどこかに行ってしまい、二度とふにゃりと笑ってくれなくなったら。

 

あの日あの瞬間、「宮近海斗」を知ったわたしはどうしろと言うのだろう。

 

宮近さんがアイドルという道を選び、22歳、もうすぐ23歳まで歩き続けてきてくれたのが本心なのだとしたら、わたしは公演が終わった彼に、これだけは言いたい。

 

 

 

生きててください。

 

 

 

あなたがわたしと同じ人間であってくれれば。

たとえ今宮近さんがいる世界に彼自身が絶望して、手放すことになったとしても。

 

生きててほしい。

息をしていてほしい。

笑って、涙を流して、この世界のどこかで、宮近さんが生きててくれればいい。

神になんてならないでほしい。

等身大の宮近さんが、等身大で笑えている世界であってほしい。

 

 

 

 

最初から結論など考えずに書いて3000文字弱、如恵留さんもびっくりするような激重ブログになりましたが、やっぱり結論は見出せませんでした。

 

ちょっとは心の整理がついたので、まぁ。

今後血迷ってまたブログを書くとしても、これ以上激重強火なものは生まれないと思います。

 

7日間、グループの繋がりを飛び出し、それぞれにやりたいことをやり切ったTravis Japanの皆さん、素敵な夏の夢をありがとうございました。

こうしてヲタクは幸せです。

生きててくれてありがとう。

 

 

 

 

 

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