8月10日15時、白昼夢を見た
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他Gのことで書いていたブログが自分の中で義務になってしまい、辞めてから数年、ずっと避け続けていたブログ再開設。
サマパラのことの備忘録のような感覚で書きたいだけで、特にこの先書いていく予定もない。
ただ、怖かった。
「宮近海斗」という人物が、言葉で言い表せないからとそっと心に仕舞っているうちに、わたしの「推し」ではなく「神」になるのが、怖かった。
だから書こうと思った。
宮近さんという存在を知って4ヶ月しか経っていない。
わたしが宮近さんの沼に足を踏み入れた経緯は長くなるのでここでは割愛するとしよう。
狂ったように宮近さんのことをありとあらゆる媒体で調べた。
色んなことを経験して、今こうしてTravis Japanで笑ってくれているのだ、ということは辛うじて繋がったくらいだ。
そんな時に突如降ってきた配信でのステージ。
見る気はなかった。
同じく、宮近さんのパフォーマンスを見るのが怖かったのだ。
のえパラ開幕の日。
報道陣に披露されたソロ曲の一覧を見て、震え上がった。
Masterpiece。
宮近さんが、確実に「この曲は踊る」と決めて選んだのだろうと、曲名を見た瞬間思った。
だって、あの関ジャニ∞が(失礼)悲鳴を上げながら振り入れをして、コンサートでバチバチに踊っていたのだから。
お金を出さないと駄目だと思った。
宮近さんの過去を何も知らないわたしが、今与えられた機会を手に取らずして、「推し」だの「自担」だの言う資格はないのだと。
気付いたら手元に(画面上に)チケットがあったし(如恵留さんのチケットも購入して拝見したので気が向いたら書こうと思う)、気づいたら8/10だった。
自分の感情も、楽しみなのか、怖いのか、いまいち分からないまま15時公演まで過ごした。
一曲目、酔いそうなほどぐわんぐわんに動かされたカメラの、カメラマン側から突如現れた宮近さんの表情を見て、こう思った。
ああ、この人は今日から私の神になるんだ。
痛々しいヲタクをやるつもりはない。
本気愛とか、同担他担拒否とか、そういう言葉は否定はしないし一つの応援の方法だと考えているけれど、自分には縁のない言葉だった。
今もそういう系統の推し方をするつもりはない。
でもあの時、カメラを覗き込んだ宮近さんは間違いなく「神」に見えた。
でも「神様」じゃなかった。
救いの手を差し伸べてくれる存在ではない。
信仰すればご利益がある存在でもない。
崇拝対象や宗教に関わる概念など適用しない、受け取る側の自己満足の世界で。
わたし自身が彼に縋らないと勝手に苦しくなる存在。
たとえその先が幸でも不幸でも別に良くて、ただただ彼のいる世界へと、糸を伝って必死に追いかけてしまうような存在。
彼がいるならそれでいいと思ってしまう存在。
最初の数曲、ギラギラした「男、宮近海斗」なステージが終わり、失恋ソング(と一括りにしていいのかは分からないが)の消え入りそうなパフォーマンスが終わり、その時点でわたしのメンタルは既にボロボロだった。
宮近さんのセットリストがどうこうの問題ではない。
ただ単にわたしの心がおかしくなった。
宮近さんが消えてしまう。
何故か、そう強く感じたのだ。
バックの方がバチバチに踊る中でただ1人、センターで動かず立っている彼も、満を持して激しく踊る彼も、2つ目の衣装で出てきた時の彼も、円形ステージでしなやかに踊る彼も。
消えてしまう。
わたしの知らないところで色んな経験をして沢山苦しんだであろう彼が、思い出をなぞりながら、最後にはそっと微笑んで消えてしまう気がした。
カメラの前で微笑んで、手を振って、拳を出して、ピースをして、モノマネして、決めポーズしてくれる宮近さんが、突然カメラの向こう側に消えて、戻ってこないまま公演が突然終わってしまったらどうしよう。
だから縋りたかった。
苦しくなるほど泣いた。なんで泣いてるのか分からないけど、宮近さんが動くたび、止まるたび、これがわたしが見る「宮近海斗」の最後なのではと思ってしまった。
沢山の思い出が詰まったメドレーが終わり、何があったのだと聞きたくなるほどトンチキなコントコーナーが終わり、沢山のジャンルを取り入れたいろんな色の「宮近海斗」を見させていただいた。
わたしが自分の気持ちに追いつかない間に、宮近さんはもうTogether Nowを歌っていたし、手書きのメッセージが画面いっぱいに表示されて、わたしの夏は幕を閉じた。
怖い。
怖かった。
どういうことだと言われてもわたしもよく分からない。
でもあの時間、わたしが見た「宮近海斗」は「宮近海斗」じゃなくて、「宮近海斗」だった。
あの日、朝家で目を覚ました「宮近海斗」が、バックヤードで最終確認をして、そのまま裏を通ってステージ上のカメラを操作してました、と言われても、わたしは信じられなかった。
「宮近海斗」を纏ってあの場所にいたんだよ、実は「宮近海斗」じゃないんだよ、と誰かに言ってほしかった。
端的に言えば、わたしが見ていた「宮近海斗」は本当に一部だったのだろう、と。
更に言うなら、わたしは「宮近海斗」のそういった部分に敢えて目を向けてなかったのかもしれない。
あのあと彼はどうなるんだろう。
またいつものようにふにゃっとした笑顔で日々を過ごすのだろうか。
メンバーや周りの方から愛され、時に悩みながら、Travis Japanで居続けてくれる?
「アイドル 宮近海斗」で居続けてくれる?
どこかに行ったりしない?
それがわたしの心の中の全てだった。
こんなに人を惹きつけ、愛し愛されてきた彼が、このままどこかに行ってしまい、二度とふにゃりと笑ってくれなくなったら。
あの日あの瞬間、「宮近海斗」を知ったわたしはどうしろと言うのだろう。
宮近さんがアイドルという道を選び、22歳、もうすぐ23歳まで歩き続けてきてくれたのが本心なのだとしたら、わたしは公演が終わった彼に、これだけは言いたい。
生きててください。
あなたがわたしと同じ人間であってくれれば。
たとえ今宮近さんがいる世界に彼自身が絶望して、手放すことになったとしても。
生きててほしい。
息をしていてほしい。
笑って、涙を流して、この世界のどこかで、宮近さんが生きててくれればいい。
神になんてならないでほしい。
等身大の宮近さんが、等身大で笑えている世界であってほしい。
最初から結論など考えずに書いて3000文字弱、如恵留さんもびっくりするような激重ブログになりましたが、やっぱり結論は見出せませんでした。
ちょっとは心の整理がついたので、まぁ。
今後血迷ってまたブログを書くとしても、これ以上激重強火なものは生まれないと思います。
7日間、グループの繋がりを飛び出し、それぞれにやりたいことをやり切ったTravis Japanの皆さん、素敵な夏の夢をありがとうございました。
こうしてヲタクは幸せです。
生きててくれてありがとう。
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